王羲之、王献之の二王を輩出した瑯邪臨沂(現在の山東省臨沂市)出身の名門王氏一族には、二王以外にも歴史上にその名を残した人物が数多く存在しています。当時の王朝貴族の中で蔓延していた教養主義より生まれた文人の書は王羲之、献之親子の作り出した優美な文人書法によって頂点を極めたといわれていますが、やはりこの二王を輩出した環境を作り上げたのはこの一族の存在が大きく影響したと考えられます。元来、王氏一族は東晋を支配した門閥貴族のなかでも有力な名門の家系であり、東晋王朝内での立場も強く、政治や哲学、芸術分野に至るまで優れた人材を出しており、それは書においても同様で、多くの王氏一族の書が文献等にとどめられています。しかし、現在、その作例をあまり見ることが出来ないのが現状であり、かろうじて現存する刻帖や搨摸本によってその名を残している王氏一族の能書家達を確認することが出来ます。 その中でもとりわけ有名なのが、王導【おうどう】(王羲之のおじ)、王【おうい】(王導の従兄弟)、王洽【おうこう】(王導の子)、王a【おうびん】(王導の子)、王c【おうじゅん】(王洽の子)などで、淳化閣帖【じゅんかかくじょう】(後述解説を参照)に刻入されており、王洽の辱告帖【じょくこくじょう】、王aの十八日帖等が有名です。又、王薈【おうわい】(王導の末子)の腫帖【せっしゅじょう】や王徽之(王導の子)の新月帖【しんげつじょう】、尊体安和帖【そんたいあんわじょう】等を有する万歳通天進帖【ばんざいつうてんしんじょう】(後述解説を参照)にも多くの王氏一族の能書家が刻入されています。 王氏一族の書はその他にも余清斎帖や鄰蘇園帖などに刻入されその姿を今に残していますが、いずれも搨摸か臨書であったり、重刻によるものがそのほとんどであり、その真が伝わっていないのですが、その中にあって王c【おうじゅん】(王洽の長男)の作である伯遠帖【はくえんじょう】は従兄弟の王伯遠にあてた書翰で、王氏一族の作中、唯一の真蹟本として貴重な逸品とされています。 王氏一族は王導から数えて、王cの孫にあたる王慈や王志に至るまで、実に五代に渡って能書家を輩出しており、王羲之書法の繁栄ぶりの一端を窺い見ることが出来、まさにこの時代の書芸術は王氏一族をぬきには語れないといっても過言ではないでしょう。
宋の太宗の淳化三年(九九二)、勅命を受けた侍書学士、王著【おうちょ】によって編纂されたのでこの名がある。これは秘閣(宮中の書庫)に収蔵されている法書類を編集整理して十巻にまとめたもので、各巻の巻頭に法帖という標題が掲げられており、以後使われる法帖という名称の始まりといわれている。 この閣帖には王氏一族からは王導をはじめ王洽、王、王敦、王欽、王邃、王凝之、王渙之、王操之等、多くの書が刻入されている。