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書道の歴史
各時代の書について、簡単に分かりやすく解説しています。 執筆:小池青皚


西晋(二)
 わずか半世紀という短命で幕を閉じる西晋王朝において、とりわけ重要な史料といえば、前述(西晋(1))の刻石よりもむしろ、墓誌銘と木簡・残紙に書かれた肉筆書の類ではないでしょうか。

 この時代、晋の武帝の「石獣・碑表の禁」によって石碑がほとんど地表に立てられなくなってしまったので、その違法を避けるための苦肉の策として、その墓主の経歴を刻した刻石や【せん】といった碑の小型を作って、それを墓の内部に埋める「墓誌」という様式が流行しました。ただ、その形式は後世で言われている方形の石に刻された典型的な墓誌銘と異なり、長方形の石版に碑座や碑頭まで設けた、いわゆる石碑の形のミニチュア版であり、本来の墓誌銘と区別して墓誌碑と呼称しています。

 西晋の数ある墓誌碑の中でもひときわ異彩を放って著名なものとして、裴祗墓誌張朗墓誌士孫松墓誌などが挙げられます。

 その墓誌碑書法に共通して言えることは、いずれも西晋(一)で述べている晋隷の銘石体でもあり、皇帝三臨辟雍碑などに見られる隷意は見る影もないのは書の変遷史を考える上では仕方のないことと言えるでしょう。

 また、木簡・残紙類は石に刻された文字と違い、当時の人間の飾り気のない素の姿で書かれており、肉筆資料として貴重なものと言えます。

 木簡・残紙はスウェーデンの地理学者スウェン・ヘディンや、イギリスの考古学者オーレル・スタイン、日本の西本願寺による大谷探検隊の橘瑞超らの手によって、中国西域の楼蘭(タクラマカン砂漠の東端に位置した移動する湖・ロブノールのほとりに栄えた街)より発見されました。

 楼蘭は漢代から東晋時代まで稼働していた街で、その地より出土した簡牘類の多くが、三国の魏や西晋のものであり、泰始三年簡・泰始五年簡などはその代表的なもので、その書法は当時の主流であった行書体によって書かれています。

 新疆ウイグル自治区の吐魯蕃【トルファン】近郊のアスタナ古墳より出土されたアスタナ出土泰始九年簡なども楼蘭出土簡と同型の書風を有しており、当時の西域地方における草隷体による通行書体の典型的な書と言えます。その一方で、同じ新疆の吐魯蕃にて出土された「三国志」呉書孫権伝残巻諸仏要集経などは、書体こそ行書体に分類されますが、起筆を軽く入れ、収筆を肉太に重厚に払うという独特の書法を備えており、さながら写経様式といった一書風を確立しています。

 その他の書的史料として注目されているものに、(長方形のレンガ)に刻された鎮軍梁府君墓表題額呂氏楊紹買地などがあります。これらは各々、異なった書風を有しており、その多岐に渡る表現を通観することで、この西晋の書法が、短期間の中で、いかに多様な様式美を展開していったかを窺い知ることができるのです。
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裴祗墓誌 【はいしぼし】
西暦293年。1936年に河南省洛陽市の周公廟より出土。河南省博物館に現存している。両面刻で、正面が61字・背面が32字からなり、本石は43cm×20cmの大きさである。内容は裴祗やその母・妻・娘など合葬した一族の簡単な略記であり、その書体は魏隷の正統的な様式を継ぐ八分隷で、皇帝三臨辟雍碑と共通した謹厳で力強い書風である。

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図1
張朗墓誌 【ちょうろうぼし】
西暦298年。1918年に日本の学者・関野貞博士が洛陽の骨董店より我が国に持ち帰ったもので、誌石の大きさは53cm×27cm、円首に双龍の刻と題額を存しており、墓誌碑の様式の典型である。正面に19行・毎行19字、陰面に6行・毎行10字の両面刻で構成され、その内容は張朗の業績を頌えたものである。書体は八分隷で、伸びやかな運筆で、独特の風趣を漂わせている。

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図2
士孫松墓誌
【しそんしょうぼし】
西暦300年。1955年頃に洛陽市の西晋墓より出土。誌石の大きさは60cm×36cm、毎行14字、11行からなる。当時の権力者・傅宣の夫人の士孫松と、その2歳で亡くなった子供とを一緒に埋葬したことを記している。書体は八分隷で、力強い波磔を有しており、この時代の隷書にしては珍しく漢碑の風趣を漂わせている。

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図3
泰始五年簡
【たいしごねんかん】
西暦269年。タクラマカン砂漠の東端に存在した湖・ロブノールに栄えたオアシス都市・楼蘭の廃墟より出土したもので、20世紀初頭の大規模な西域における発掘調査でスウェーデンの地理学者スウェン・ヘディンらによって発見された。楼蘭出土の簡牘の最古のものは魏の景元4年(263年)簡であるが、大多数は泰始年間の簡が多い。その書体は隷書の波勢を内在した行書であり、中でもこの簡は運腕大きく、実に堂々たる暢達の筆致を見せた見事な書である。

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図4
アスタナ出土泰始九年簡
【あすたなしゅつどたいしきゅうねんかん】
西暦273年。1966〜1969年、新疆ウイグル自治区吐魯蕃のアスタナ古墳より出土。計1020の文物・木簡残紙の中で最古の記年のあるものがこの簡で、その内容は交易の証書である。その書体は隷意を内在した草隷風の行書であり、西域の通行書体の一種と考えられる。

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図5
「三国志」呉書孫権伝残巻
【さんごくしごしょそんけんでんざんかん】
1965年、新疆ウイグル自治区吐魯蕃の仏塔遺跡英沙故城にて出土。陶器の壺に納められた文書の残巻であり、そのサイズは23cm×73cmで、40行からなる呉書・孫権伝の一部を書したものである。その書体は写経様式の行書体で、簡牘類よりも慎重に書している。

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図6
諸仏要集経
【しょぶつようしゅうきょう】
西暦296年。1912年、西本願寺派遣の大谷探検隊・橘瑞超らの手により、吐魯蕃の吐峪溝【とよくこう】にて発見された。西晋に書写された仏典の残経で、最古の写経であり、サイズは23cm×35cm、23行からなる。「三国志」呉書孫権伝と同種の書法で、軽いタッチの起筆から収筆までを徐々に重くしてゆく筆法に特徴がある。

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図7
鎮軍梁府君墓表題額
【ちんぐんりょうふくんぼひょうだいがく】
1977年、甘粛省酒泉にて出土。この題額は(レンガ)でできており、本体の墓表は木製のために腐敗してしまったのか発見できなかったのである。書風は東晋の爨宝子碑や王興之墓誌などと酷似しており、銘石体の一書風で、重厚な力強い運筆で、表情が豊かである。

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図8
呂氏 【りょしせん】
西暦279年。1918年頃、安徽省鳳台県にて出土。北京国家博物館に現存する。34.8cm×17.2cmの大きさのに刻されており、陸機の平復帖を髣髴とさせる章草体による伸びやかな筆致の書風を有し、当時の通行体を知る上でも貴重な資料と言える。

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図9
楊紹買地
【ようしょうばいちべつ】
西暦284年。1600年頃、浙江省紹興にて出土。約63cm×37cmの大きさのでできており、当時の木簡書風と共通項が多く、通行体である行書に分類されるが、楷書に近い用筆も散見できる。

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図10
 
図1,2,3,5,8,9,10 『ヴィジュアル書芸術全集 第4巻 三国−東晋』(雄山閣・1991年)
図4 『書の文化史』(二玄社・1991年)
図6,7 『書道全集3 中國3 三國・西晋・十六國』(平凡社・1959年)
 
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