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裴祗墓誌 【はいしぼし】
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| 西暦293年。1936年に河南省洛陽市の周公廟より出土。河南省博物館に現存している。両面刻で、正面が61字・背面が32字からなり、本石は43cm×20cmの大きさである。内容は裴祗やその母・妻・娘など合葬した一族の簡単な略記であり、その書体は魏隷の正統的な様式を継ぐ八分隷で、皇帝三臨辟雍碑と共通した謹厳で力強い書風である。 |
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 図1 |
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張朗墓誌 【ちょうろうぼし】
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| 西暦298年。1918年に日本の学者・関野貞博士が洛陽の骨董店より我が国に持ち帰ったもので、誌石の大きさは53cm×27cm、円首に双龍の刻と題額を存しており、墓誌碑の様式の典型である。正面に19行・毎行19字、陰面に6行・毎行10字の両面刻で構成され、その内容は張朗の業績を頌えたものである。書体は八分隷で、伸びやかな運筆で、独特の風趣を漂わせている。 |
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 図2 |
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士孫松墓誌 【しそんしょうぼし】
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| 西暦300年。1955年頃に洛陽市の西晋墓より出土。誌石の大きさは60cm×36cm、毎行14字、11行からなる。当時の権力者・傅宣の夫人の士孫松と、その2歳で亡くなった子供とを一緒に埋葬したことを記している。書体は八分隷で、力強い波磔を有しており、この時代の隷書にしては珍しく漢碑の風趣を漂わせている。 |
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 図3 |
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泰始五年簡 【たいしごねんかん】
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| 西暦269年。タクラマカン砂漠の東端に存在した湖・ロブノールに栄えたオアシス都市・楼蘭の廃墟より出土したもので、20世紀初頭の大規模な西域における発掘調査でスウェーデンの地理学者スウェン・ヘディンらによって発見された。楼蘭出土の簡牘の最古のものは魏の景元4年(263年)簡であるが、大多数は泰始年間の簡が多い。その書体は隷書の波勢を内在した行書であり、中でもこの簡は運腕大きく、実に堂々たる暢達の筆致を見せた見事な書である。 |
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 図4 |
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アスタナ出土泰始九年簡 【あすたなしゅつどたいしきゅうねんかん】
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| 西暦273年。1966〜1969年、新疆ウイグル自治区吐魯蕃のアスタナ古墳より出土。計1020の文物・木簡残紙の中で最古の記年のあるものがこの簡で、その内容は交易の証書である。その書体は隷意を内在した草隷風の行書であり、西域の通行書体の一種と考えられる。 |
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 図5 |
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「三国志」呉書孫権伝残巻 【さんごくしごしょそんけんでんざんかん】
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| 1965年、新疆ウイグル自治区吐魯蕃の仏塔遺跡英沙故城にて出土。陶器の壺に納められた文書の残巻であり、そのサイズは23cm×73cmで、40行からなる呉書・孫権伝の一部を書したものである。その書体は写経様式の行書体で、簡牘類よりも慎重に書している。 |
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 図6 |
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諸仏要集経 【しょぶつようしゅうきょう】
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| 西暦296年。1912年、西本願寺派遣の大谷探検隊・橘瑞超らの手により、吐魯蕃の吐峪溝【とよくこう】にて発見された。西晋に書写された仏典の残経で、最古の写経であり、サイズは23cm×35cm、23行からなる。「三国志」呉書孫権伝と同種の書法で、軽いタッチの起筆から収筆までを徐々に重くしてゆく筆法に特徴がある。 |
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 図7 |
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鎮軍梁府君墓表題額 【ちんぐんりょうふくんぼひょうだいがく】
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1977年、甘粛省酒泉にて出土。この題額は (レンガ)でできており、本体の墓表は木製のために腐敗してしまったのか発見できなかったのである。書風は東晋の爨宝子碑や王興之墓誌などと酷似しており、銘石体の一書風で、重厚な力強い運筆で、表情が豊かである。 |
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 図8 |
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呂氏 【りょしせん】
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西暦279年。1918年頃、安徽省鳳台県にて出土。北京国家博物館に現存する。34.8cm×17.2cmの大きさの に刻されており、陸機の平復帖を髣髴とさせる章草体による伸びやかな筆致の書風を有し、当時の通行体を知る上でも貴重な資料と言える。 |
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 図9 |
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楊紹買地 【ようしょうばいちべつ】
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西暦284年。1600年頃、浙江省紹興にて出土。約63cm×37cmの大きさの でできており、当時の木簡書風と共通項が多く、通行体である行書に分類されるが、楷書に近い用筆も散見できる。 |
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 図10 |
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| 図1,2,3,5,8,9,10 『ヴィジュアル書芸術全集 第4巻 三国−東晋』(雄山閣・1991年) |
| 図4 『書の文化史』(二玄社・1991年) |
| 図6,7 『書道全集3 中國3 三國・西晋・十六國』(平凡社・1959年) |
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